「魔術学院」
今までどこにも無かった教育を。
「魔術学院」は前田ネイト主催のオンライン授業型の絵画・哲学・デザイン教室です。
弊絵画教室は絵を「楽しむこと」の部分を教えます。
楽しさを取り戻すことにより、「独学」をする方法と魔術のように直観的な表現の力(画力)の部分を教えます。
これらは私自身がこれまで独りで学んだからこそ教えられる要素です。
目の描き方!手の描き方!のような単純な教え方は一切しません。
なので全てを描けることを目指せます。
目や手といったパーツの情報だけを受け売りな表現で描けるようになることよりも、その描き方に自分の脳で辿り着くための考え方や視点を養うことの方が長い目で見ると大きな結果を出せるはずです。
何よりもこういった本質的な観察によって喜びや発想が生まれると考えます。その喜びこそが大きな共感を生み、いわゆるバズも生みます。
そして本来の意味での自己肯定や自己効力感を生みます。
弊学院では技術さえ伴えば何でも描けるようになり、何でも作れるようになるとと考えます。その喜びと自由は計り知れません。
これに才能なんか要りません。まずはそれを認めてください。
才能などというものは幻想です。
コツと楽しさを覚えれば誰にでも出来るようになります。
「学校で一番上手いあの人」は単にコツを効率よく掴む運があったから知っているというだけなのです、そのコツさえ知ってしまえばその領域までは簡単に至れます。
言葉で理屈を知らずとも、対象の事象や技術を直観で自分のものにして使いこなせるという能力。
例えば、自転車に乗れない子供が自転車の仕組みも分からないのにいつの間にか自力で乗れるようになる力
これが私の言う「魔術」のうちの1つです。
これはまさに「独学」の根幹だと思います。
「魔術」は、幼い頃は誰しもが持っているものですが
従来の教育により大人になる頃には殆ど全員が使い方を忘れます。自信を無くします。
描く楽しみや喜びごと忘れてしまい、多くの大人の日常からは「描くこと」が消えてしまいます。
描き続けている者でも、こういった原初的な喜びは忘れてしまう者のほうが多いように思います。
しかし「忘れている」だけです、思い出せます。
私は、多くの者が魔術的な視点を思い出すことが出来たなら世界が今以上に面白くなると思っています。
世界が面白くなるなら自分も楽しいので、これを行います。
魔術の世界に足を踏み入れてください。
己のカオスを取り戻してください。
アナログ/デジタルは単純に二分出来ません。
両方沢山描いたからこそ、そう思います。
世界にはアナログ的なデジタル、もしくはデジタル的なアナログのようなものが遍在します。魔術的なものは世界に既に沢山存在しています。
これを認知してください。
魔術的な、言語外の直観力によって自分のものにした後に解剖学の本を読むと「ああ!これはそういうことだったのか」といった風に自分の直観による知識に対して言語的裏付けを得られるような体験が出来ることでしょう。
私は、このような主観的な自覚こそが深い学びに繋がるものだと考えています。深い学びのための体験は必ず主観であり、体験の当事者である必要があります。
「エウレカ」を沢山体験してください。
才能という幻想に囚われないならば誰もが得られます。
己を信じてください。
私が己の信じ方を教えます。
魔術学院というコンセプトにはそういった由来があります。
私の行いたい教育に関して、おそらく現段階でほとんどの人たちは理解できないと思います。
しかし、そこで「信じる」ことさえ出来るなら 皆さんにそれが身につく頃には、この教えは時代に即したものとなっていると思います。
だからこそ私は今これを行います。
時代の変化により失われる価値と、残り続け更に認められゆく価値があります。これらを見極めてください。
☆専門性と責任
上記の説明では疑わしく思うかもしれません
それは全てを一人で学んできた私が一番よく理解しております。一人で学ぶ上で、情報の吟味はとても重要であったからです。
一人で学んだという経験があるからこそ教えられる物が必ずあると思える一方、権威に属さぬ者に対する不安感はあって当然であると感じております。
-これを解消するためにどうしたの?
・都内某所の子ども向け絵画教室にて講師としての経験を積みました。
・技術の証明のため AIに無断学習されることを恐れずにタイムラプス動画や高画質の作品画像自体をXやInstagram、YouTube、ニコニコ動画、tiktok等に載せてバラ撒くことにしました。私は全てのモノに「教え」ます。
・大学での専門的学び+哲学書を中心とした自主的な読書等により知識を深め、指導するということに対する責任を持てる決意と自信を得ました。
これらによって個人の絵画教室としての独立を決断いたしました。
私は出来ます。
信じてください。
以前地上波(2023年7月キラビト)にて夢をお話してからかなり時間が空いての開講となったのはこのような事情がございました。